So-net無料ブログ作成
検索選択

ひこうき雲 [回想]

女子高時代、

1学年上の演劇部のひとが
学校の屋上から飛び降りて死にました。

朝礼で全校生徒が体育館に集まっていた時でした。

面識はなかったので、
正直言って悲しいというほどの感情はなかったけれど

その時の胸の異様な感じはいまだに覚えています。

何が彼女を死に追いやったのか
どうしてそれほどまでに苦悩していたのか
なに一つわかりませんが

私たまたま入ってしまった生徒会で
4階の生徒会室からよく屋上へ出て

ダンボールを敷いてねっころがり、
空を眺めたりしていました。

その事件以来
屋上へ出ることは禁止になりました。

制服のベルトで首吊りだってできるのに、
と生意気盛りで思っていました。

その当時、この曲を私は知りませんでした。

はじめて聴いたとき、
彼女のことを思い出しました。

彼女は、この歌を、知っていたのだろうか。

年をとってくると、
もはや夭逝の、とか薄命とか(笑)言われなくなるとともに、

自分より先に旅立った同世代の人たちが偲ばれます。

ジェットコースター.jpg

ビッグエッグ.jpg

 水道橋


nice!(17)  コメント(6) 

復活祭 [回想]

過ぎてしまいましたが、4月20日は今年のイースター(復活祭)の日でした。

カトリックの祭日としてカーニバル(謝肉祭)同様、
年によって日にちが違います。
祭日になるので、日本のGW同様、
その年のカレンダーの曜日配列によってカトリックの国では
長いバカンスがとれます。

復活祭前後は聖ウィークといって、4日プラスアルファ、
楽しい連休です。

私が知っているのは、ブラジルのものだけなのですが、

ブラジルでは、イースターのことをPASCOAといいました。
祝い方としては、チョコレート製で中が空洞の卵を
買ったり贈ったりします。

卵はハデハデ[ぴかぴか(新しい)]なラッピングがしてあり、
真ん中はパカッと開いていて、
空洞にはチョコレートキャンデーやボンボンがたくさん詰まっています。

子供にとってはそれは楽しみな行事でした。
カトリックの人はミサに参列したりするのですが
仏教徒の私は美味しいところだけ楽しんでました。

来日してからは、復活祭とは縁のない生活です。

バレンタインデー同様、
日本のチョコレート会社の各担当者は、
ハロウィンがあっという間に広まったように、

イースターのこの祝い方を日本でも広めたら、
4月のチョコレート売り上げがグ~ンとあがるのに、といつも思います。

pascoa2.jpg

こういう感じのものです。これがお店にこーんな風に売り出されます。[左斜め下]

pascoa3.jpg

借りてきた画像ですが、もっとご覧になりたい方は
OVO DE PASCOA(イースターエッグ)をどうぞ。
内容も、私が知っている頃よりデザインも中身も進化しているようです。
チョコの卵の層の中にまたチョコクリームなどがサンドされていたり。[目]

チョコレート会社の方、ご検討の価値あると思います。

日本の人にはチョコエッグ=おまけのフィギュアの方が大事な
子供のお菓子、というイメージになっちゃうかな。

復活祭、にちなんで私のコレクションを復活させたいと思います♪

今日の常夜灯。

優雅な常夜灯.jpg

ビー玉のような吊るしものが施してあります。

そして今日のカメコレです。

カメコレ61.jpg


nice!(21)  コメント(6) 

つわぶき祭 [回想]

ここのところ、幼稚園ママとしての記事が多かったのですが、

近所の庭に咲いているつわぶきの花を見て、
長崎での高校時代のことを思い出して書きたくなりました。

私は16歳の時に日本へ来て、
(ブラジルは小学校4年、中学校4年、高校3年で計11年教育です)
高校1年まで修了していたのですが、
再び高校1年から編入しました。

初めての来日、そしてそこは女子高という特殊な世界。
カルチャーショックを受けるというよりも、毎日が無我夢中で、
やっとちょっと慣れたかと思ったらもう受験!受験!で、
夢のように過ぎ去った3年間でした。

マリア様のような純真な心を持つ女性を育てる、
という理念の女子高でした。

でも、夢を壊すようですが、女子高の生徒というのはかなりがさつなもので、
若い男性教師をいびって喜んだり、(暑い日にわざとスカートをひらひらうちわ
代わりにして反応を楽しむ。悪質ですねぇ~)
お互いに苗字で呼び捨てをするのが流行ったり、
先生のことも陰で呼び捨てにしたり。
異性の目がないというのはこうも自由なのか!という毎日でした。

それでも、オープンで能天気なブラジルに比べると、
やっぱりニッポンは不思議な国でした。
テストを返されると、点数のところを折って隠し、採点チェックする姿。
成績の順位はあからさまに貼りだされるというのに!
お弁当の時間も、ふたでお弁当の中身を隠す女の子
その中身は恥ずかしい日の丸弁当でもなんでもなく、
うちのよりずっと豪勢(作ってくれていたおばあちゃん、ごめんね!と
仏壇に手を合わせなきゃ…)なのに。

私が外国から来たといって目立っている、というだけで
「あんた、のぼせなさんなよっ!」と挨拶に来てくれた上級生もいました。
でも、恐れていたいじめにも遭うことなく、平和に過ごせたのも、

やっぱりどこかのどかな田舎のお嬢様高といわれるミッションスクールならでは、
だったのかもしれません。
でも、校則も滑稽なくらいに厳しくて、
髪の毛の長い人は二つくくり。ポニーテールなど一つにくくるのは、
うなじが強調されるので禁止。
学校帰り、制服姿での寄り道は厳禁。
かといって、着替えて近くの繁華街を歩いていると、即補導される。

という調子だったので、
私の長崎時代は学校と自宅の往復だけ、でした。
有名なおくんちというお祭りも、学校帰りにこっそり寄り道して見物していたら、
すぐに先生につかまりました。なにせ、狭い町なんですね。東京では
考えられないでしょう。

その女子高の文化祭の名前が、つわぶき祭でした。
校庭のあちこちにも、地味ながら力強いその花は咲いていて、
ここだけの話、当時飼っていたカメ2匹が死んだとき、
マリア様の像の裏のつわぶきの咲いているあたりに
埋めたことがありました。ソクラテスとナポレオンという名のカメでした。

そうだったのか。今更確認。
私のカメへの偏愛はこのころからだったのですね。[目]

思索的、哲学的なその風貌に強く惹かれたものです。

1学年8クラスのうち、進学コースが1組2組の2クラス、
中でも地元の付属の短大に進む人がほとんどで、
8組1クラスが就職
あとは、え?どうしたんだろう?家事手伝い、花嫁修業?
ではないですよね…。
自分のことで精いっぱいだったので、あとのことには知りません…。

とにかく1年生はまだのほほんと過ごしていました。
ちびまる子ちゃんの丸尾くんにそっくりな担任のイセキ先生にそそのかされて
立候補し、生徒会副会長になったけれど、生徒会といっても
根回しと予定調和の世界、何かを変革しようとしても出る杭は打たれるということしか
学べませんでした。ここでかなり、社会の成り立ちってこんなもの…と早くも
幻滅を覚えました。
ブラジルで読んでいた少女マンガ「生徒諸君!」なんかの世界に憧れていたのに。

まだ右も左もわからず、リーダーシップもとれなければ
使命感も弱い私には荷が重すぎただけかもしれません。

ブラジルにいた頃は、少年少女名作ものの本とか
少女漫画しか身近になかったので、
「堕落論」をついらくろん、と読んで笑われたりしたっけ。
でも、実力テストで「諦める」が読めたのは学年で3人だけ、という中の
一人でした。(*_*)

そして、2年生になると一気に受験生モードに。
早朝、放課後の補習授業にいつも星を見ながらの通学でした。
でも路面電車で、はじめて定期券をもって通学するのは楽しかったなぁ。
シスター志願生のイズミさんと一緒でした。
うちは大浦天主堂のすぐ近くにあったので。

シンカイ先生という問題意識と正義感の塊のようなストイックな
現代社会の教師に出会ったことで、(生徒会の顧問の先生でした。)
大きな影響を受けました。
常に問う姿勢でいることの美しさというか神々しささえ感じ、
女子高生の私は当時29歳のシンカイ先生をかなり神格化して見つめていました。

今でも、だらだらのらくら過ごしていると、
シンカイ先生に合わせる顔がないなぁと思ったりします。
それは、故郷に錦を飾るとかいう意味ではなく、
(私の人生のピークはここらあたりで、そんなお嬢様校から
東京の国立大に入ったのは学校始まって以来の快挙!と言われ将来を
嘱望されたのですが、
その後は二十歳過ぎればただの人。だったので)
生き方の姿勢、真摯に生きているか、という意味で。

つわぶきから、

ずいぶんと遠い20年以上も前のことを
長々と回想してしまいました…。


ツワブキ.jpg

長々と回想しすぎて、

レギュラーコーナーを書いている時間がなくなりました!

 


nice!(17)  コメント(16) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。